名古屋旅

 己の傷付いた心を癒したいからこそ、人々は旅をした、自分自身が乗り越えられない壁もあった、答えが見つからないこそ、人々は自分探しに行く、そして旅をした、旅というものは、胸に抱えた問いを解くためとか、未知なる道を切り開くために、することだ。自分の人生のアルバムというアルバムに輝く写真でいっぱいにする、僕たちはあちらこちらに旅をするのではないか。

 旅、己の知識や世界はもっと広げるため、新しい自分と出会うため。旅、一つの物語の始まり、新たな冒険の始まり。日本へ行く前は僕はずっと自分の国に住んでいた。むしろ、閉じ込められていると言ったほうがいい、何故そんな風に言うのか、それは僕の両親は最初から一人で日本へ旅に行くことを反対していた、だから僕は台湾という小さな島に閉じ込められていった、自分の国をそんな風にいったら、あまりよくないと思うんけど、しかも幼い頃ずっと台湾(ここ)で育てられたことだし、もっと誇りを持つべきだと思うんだけど、僕は昔から日本の経済とか、営業の方法のついて学ばんがため、日本への留学を決意した、それに誰だって自分の夢を追う権力があるんではないだろう。ある日、いつも通りにかよっている塾に、僕に日本語を教えて下さった先生の先輩が台湾にいらっしゃった、そのきっかけて、先生の先輩を通じて日本へ旅のいく方法を知った、そしてこの旅が始まった。

 僕は日本へ到着したとんた、僕の本能が「生きろ」と叫んだ、何故そういう風なことを言ったか、元々僕に空港迎え行く人が来ると言ったけど、一人で空港でざんざん待ったあげく、誰一人でも来なかった、どうしようもない僕は、自分の今まで習った日本語で寮の住所に探しにいく他ならなかった、最後は親切な人に車で送ってもらった。何とか寮の住所を見つけた、本当に大変な一日たっだ。僕が日本にいる間は確かにわずか一ヶ月半にすぎなかったけど、でも毎日はたっぷり未知なる事物に満たされる毎日たっだ,一秒たりとも無駄にはしなかった。この一ヵ月半の旅を兼ねて、日本語の会話を練習したり、あちこちで友達を知り合ったり、本当楽しかった。日本はこんなにおもしろいなんて、夢にも思ってみなかった、今まで想像した日本と、実際このめで見た日本はまったく違うものだ。百聞は一見に如かず、このことわざの通り、実際に見た日本の景色や建物、ふるさとの風景、人々の親切さ、いまだに忘れられない、写真のように僕の胸に刻んだ。ああ!オット一言を言い忘れた、僕は今回旅に行った場所は名古屋の尾張だ。ちなみに、有名な名古屋城、古戦場桶挟間、名古屋水族館とか、中日ドラゴンズ野球チームは全部名古屋(ここ)にいる。

 一人で外国で生活するのは本当大変たっだ。何でも自分でやらなければならない、周りの連中はみんな外国人だ。言語や文化、習慣などほどんとちがうものだ、それに僕自身の日本語はまだ極めてはないしこんなきびしい条件で一人で日本で生活するには心細い限りだ、時々台湾(うち)に帰りたい、逃げ出したい、こんな弱虫気持ちが心の底から湧いてきた。でも僕はせっかく両親の許可をもらった上、前がら体験しまいまま帰国するなんて、もったいないだろう、もっと見たい、もっと知りたい、日本という国のこと、たとえ夜に眠れないぐら毎日を過ごしだとしても、僕は耐えるんだ、いや、耐えるべきだ。でなと、この旅の意味が泣くな手しまうどころか今までお世話になった人たちと合わせる顔すらなくなる。だから僕は精一杯自分の生き様をみんなに見せるべきではないだろうか、将来まだ名古屋(ここ)に来るだろう、あきらめたら、何も始まらないんだ、心残りが一つもないように、しかし、残念ながらこの世の中には自分の思い通りにいかないことがたくさんある、まだ行きたいところはたくさん残っているだ、もう帰国したくなくなる、もう一度名古屋(おわり)に行きたい。

 この旅を機に、将来日本へ留学したいという決意もっと深くなった、夢はそう簡単に見つかるものじゃないことはもちろん、そう簡単にあきらめるものでもない、どんな困難があろうと必ず乗り越える、自分で自分を苦しめるな、悩みに負けてしまわず、自分なりの新しい見方で悩んでいることを消し飛ばすんだ。そしてその悩みを乗り越えていくことが大切である、そうではないと思わないか。